- 投稿:2020/09/10
- 掲載:2020/09/29
「#思い出」鹿屋市ドライブで訪れました。 (由緒)後土御門天皇の明応四年、島津豊後守忠朝が串良城主となり、細山田の物部氏の遠祖十五神を祀る一之宮の十五諸神の一社を城の守り神として勧請し現地に宮床を定め一之宮大明神と称して尊崇した。寛文十二年島津久胤が奉行となり新宝殿の造営をなし、祭神も月読命が祭祀され社名も玉兎宮一ノ宮大明神と呼称され九月の祭礼時には郷土達により流鏑馬が奉納された。とあります。 鳥居をくぐり、手摺付きの真っ直ぐな階段を上がると境内。社務所は確認できませんでしたが、地域に大切にされている神社であると感じました。