- 投稿:2019/06/29
- 掲載:2019/08/30
「1858年(安政5)井伊直弼の安政の大獄によって追われる身となった月照は、公家の近衛忠熙が西郷に依頼して、鹿児島に逃れました。 しかし斉彬の亡き後の藩庁は、月照を日向国に追及すると決め、絶望した西郷は月照と相抱いて冬の海に身を投じました」(「 」内はコピーです) そして西郷隆盛だけが命助かり蘇生したといわれる家で現在は史跡となって鹿児島市の管理になっています。並びにある南洲茶屋の店主にお話を伺うと、店主のひいおじいさんが西郷隆盛をこの家でかくまったそうで、西郷隆盛が使用したであろう食器が展示されていました。 入水をした錦江湾はこから1.5kmほど先らしいです。昔は家は2軒並びで現在残る家も修復を繰り返しながら若干移動している(店主お話より)