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歴かごぶら 歴かごぶら

けっこうあるぞ!
大河ドラマのロケ地
〜姶良編

2018年1月に放映開始となったNHK大河ドラマ『西郷どん』。鹿児島県内のあちこちで撮影が行われていて、オープニング映像や劇中で印象的なシーンを作り出している。
今回紹介する姶良市にもロケ地は多い。その場所は「龍門司坂」、「掛橋坂」、「精矛神社」、「重富海岸」。これらロケ地を中心に明治維新を感じるスポットをめぐってみよう。

姶良って薩摩? それとも大隅?

龍門司坂 マップを見る!
現在の姶良市は、旧国名でいうと大隅国の西の端っこにあたる。ちょうど国境の地であり、古くから交通の要衝だった。江戸時代には薩摩街道と呼ばれる主要道が整備。そのうちの大口筋は、吉田から重富に抜け、帖佐を経て加治木へ、さらに栗野・大口方面へと抜ける。その旧街道の一部はいまも残る。加治木市街地からやや山に入ったところにあるのが「龍門司坂」だ。整然と敷き詰められた美しい石畳が山の中へと続いている。江戸時代中期に作られたものがそのまま残り、国の史跡にも指定されている。

龍門司坂

487mの石畳の道が昔のまま。ドラマ撮影の定番スポットで、『西郷どん』のほかに、『篤姫』や『翔ぶが如く』などでも撮影が行われている。

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白銀坂 マップを見る!
薩摩街道大口筋の石畳の道は姶良市内にもう1ヶ所。吉田から重富に抜ける「白銀坂」である。こちらも国指定史跡で、国土交通省の歴史国道にも選定されている。道はかなり険しく、薩摩国から大隅国に抜ける国境の難所として知られていた。いまでこそ海沿いに国道10号が通っているが、このルートができたのは明治時代になってからのこと。それまで海沿いは断崖続きで、急峻な山道を抜けるほかなかったのだ。

白銀坂

旧道は2.7kmが残る。歩いて抜けられるように整備されていて、展望台や布引の滝などの絶景スポットもある。

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掛橋坂 マップを見る!
蒲生町には「掛橋坂」という江戸時代の地方道も残っている。こちらも昔の状態をよく残しており、『西郷どん』の撮影も行われた。掛橋坂は明治30年頃までは生活道として利用されていたが、近くに道が整備されたことで使われなくなった。長らく忘れ去られた存在だったが、平成23年(2011年)に発見。その後、整備されて散策できるようになっている。

掛橋坂

全長は661m。道が険しく、岩に木を組み込んで板敷きの桟(かけはし)を渡していた。

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石蔵ミュージアム 石蔵ミュージアム マップを見る!
ちなみに明治10年(1877年)の西南戦争では、鹿児島で挙兵した西郷隆盛の軍勢が白金坂と龍門司坂を通って熊本方面に進軍している。その途中で、重富の酒造蔵に立ち寄って焼酎を買い占めた。これは怪我を治療する際の消毒に使うためのものでもあった。その蔵が現在の白金酒造株式会社である。明治時代に建てられた石蔵が残っていて、現在もここで焼酎が作られている。「石蔵ミュージアム」として展示が行われ、工場見学も可能だ。

石蔵ミュージアム

石蔵は国の登録有形文化財に指定。2階では焼酎に関する展示が行われ、西郷隆盛との関わりについても解説。1階は工場。

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島津義弘を祀る神社

精矛神社 精矛神社 マップを見る!
慶応5年(1600年)の関ヶ原の戦いに島津義弘は西軍として参加。敗色濃厚となると徳川家康の本陣に向かって敵中突破を敢行し薩摩まで戻ってきた、いわゆる「島津の退き口」は今日まで語り継がれている。この出来事をしのんで、島津義弘の菩提寺であった妙円寺(日置市伊集院、現在は徳重神社)に参拝する行事が行われるようになった。『西郷どん』の中でも妙円寺詣りのシーンがあるが、撮影が行われたのは、じつは加治木の精矛神社である。
祭神は島津義弘公。加治木は島津義弘が晩年を過ごした地でもあり、没後に御位牌は伊集院・妙円寺に、御霊舎を加治木・本誓寺に祀られた。この本誓寺が明治時代に廃止され、義弘公に関わる祭祀を引き継ぐ場として建立されたのが精矛神社である。当初は島津義弘の屋敷のあった場所(加治木島津屋形跡)に造営されたが、大正7年(1918年)に現在地に遷座している。宮司の話によると、かつては本誓寺の義弘公を参拝する行事もあったという。加治木近隣の若者は「妙円寺詣り」ではなく「本誓寺詣り」を行っていたのだ。
現在の精矛神社の境内は島津義弘の別荘跡地にあたる。約400年もの歴史があり、島津義弘が朝鮮から持ち帰った石臼なども残っている。また、社殿や鳥居は大正時代に造営されたもので、100年もの歳月が刻まれている。

精矛神社

境内は「質実剛健」という雰囲気。
春になると桜の花が咲き乱れる。

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薩英戦争はここから始まった

重富海岸 マップを見る!
重富海岸も『西郷どん』のロケ地。少年時代の西郷らが御殿に忍び込むシーンで、この地が登場している。姶良カルデラに由来する地形で、一帯は霧島錦江湾国立公園の区域にも指定されている。
重富沖の海は、文久3年(1863年)の薩英戦争の開戦のきっかけとなった場所でもある。ここに停泊していた3隻の薩摩軍船を英国艦隊が襲撃した。これを受けて薩摩藩は砲撃を開始したのだ。ちなみに、薩摩船の乗組員はイギリスの捕虜となり、この中には五代友厚と寺島宗則もいた。薩摩藩とイギリスが和解したあと、ふたりは留学生を派遣してイギリスに学ぶことを藩に申し出た。それが採用されて、五代・寺島も留学生一行とともに渡欧している。

重富海岸

白砂青松の浜と遠くに見える桜島が美しい景観を作り出す。遠浅の地形で、干潮時には広大な干潟が出現することもある。

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