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  2. 私福の一杯。

思いがけずに
ラーメン店を開業。
やるからには、
最高の一杯を作りたい。

ガラス関係の商材を扱う企業に勤め、
その後、インターネット販売の会社を立ち上げ、
最終的にはガラス商材を取り扱う代理店を
ネット通販の会社と並行して運営したという店主。
その人生にラーメンの4文字はなかった。

「自分でもラーメンの店を開くことになるなんて思ってもみませんでしたよ。
先輩の手伝いを断っていたら、今の人生はないでしょうね」
その手伝いが宮崎発でありながら、
今や各地に展開する辛麺のお店だった。
「最初はちょっと夜の時間帯に店に入るくらいで考えていたんですが」と
苦笑いする店主。
最終的に2年を過ごした。

そんな折、店主に転機が訪れる。
「ネット通販の仕事がきっかけで、
今、『樹凛』がある場所で元々、
経営されていたラーメン店『みそや・堂』に訪問したんです。
その際に『この場所でやってみないか』と声をかけられました」。
店の界隈はいわゆる学生街であり、
さらに「どんぐり横丁」という酒場が集まるエリアにも程近い。
「立地的にピンと来たのもありますが、
ネット通販の仕事をしてきた中で、
鹿児島には本当に魅力的な食材が多いなと思っていて、
そういう食材を使ったラーメンなら受け入れてもらえるだろうと考えたんです」。

とはいえ、店主が経験してきたのは辛麺の店のみ。
しかもこれから自身が作り出そうとしているのは塩ラーメンだった。
「周りに豚骨ベースの競合店が多かったので、
うちは鶏ガラでいこうと先に決めました。
出汁は辛麺の店でも取っていたので、
出汁というベースがしっかりしていれば、
あとはどうにかなるかなと思ったんです」と笑顔を見せた。
ただ、実際に店を出すことが決まると、
店主の中にイメージが膨らんでいき、
最終的に、開業時に3種のラーメンを取り揃えることになった。

「みそや・堂さんの常連さんも来てくれるかもしれないと思ったので
味噌ラーメンも研究し、せっかく出汁をとるんだから
バリエーションがあったほうが良いだろうと
醤油ラーメンも出そうと決めたんです」。
イメージはあるが、実際に塩も醤油も味噌も作ったことはない。
誰に頼ることもなく、連日、調味料を研究し、
出汁や麺と合わせるという試作を繰り返し、開業の日を迎えた。
2013年11月に「麺匠 樹凛」をオープン。
その半年後には辛麺をメニューに加え、
さらには限定として出していたまぜそばも追加し、
現在では大きく5種のラーメンをラインナップするに至った。
「やると決めたらとことん突き詰めたくなる性分なんです」と笑う店主。
実はムスリムの人々のためのメニューも用意する。
「豚肉が完全にNGなど、とても厳しい条件があるんですが、
なんとかそれらをクリアし、ハラール認証店としてお墨付きをいただいています。
せっかく日本に来て食べるものがないなんて、かわいそうじゃないですか」。

メニューだけではない。
食材自体も進化している。
元々は一般的な鶏ガラスープをとっていたが、
現在は鹿児島が誇る銘柄鶏・黒さつま鶏の鶏ガラに変更した。
「ネット通販を営んでいた頃から注目していた食材でしたが、
ラーメン店を始めたばかりの頃は仕入れ価格も全然違いますから、
使えなかったんです。
ただ、変えてみるとスープの甘みが段違い。
この味をしってしまったら、変えないわけにはいきません」。
出汁が変わると元ダレを含め、
ラーメンの構成を根底から見直さなければならない。
それでも「美味しい」のために、
店主はゼロからスタートするつもりで切り替えた。

創業当初からガラリと変わったという目の前の塩ラーメン。
残念ながらぼくはその当初の味を知らない。
ただ、食べると乗り越えてきた道のり、
その積み重ねの日々は確実に伝わってくる。
どっしりと大地に根を下ろした大木のような出汁感、
ギリギリと口の中で騒つかない角のとれた塩気、
甘みのやわらかな油の具合、
それらを持ち上げる地元製麺所による中細ストレートの麺。
これは鹿児島という大地がもたらしたシンフォニーなんだ。

「このチャーシューも、途中から炙るようにしたんです。
やっぱりこのほうが旨味が出るでしょ」。
この店主の好奇心が、きっと今日もラーメンを進化させている。

山田祐一郎 やまだ ゆういちろう

福岡県・宗像市出身。日本で唯一(※本人調べ)の
ヌードルライターとして活躍中。実家は製麺工房で、
これまでに食した麺との縁は数知れず。
九州を中心に、各地の麺を食べ歩き原稿を執筆。
モットーは”1日1麺”。著書に『うどんのはなし 福岡』、
『ヌードルライター秘蔵の一杯 福岡』。
http://ii-kiji.com